授業中にスマートフォンを使っていることを注意されたが, PCならOKだった, 理由が謎だったので, 何故なのか理由を推察してみた
- 授業中の授業のためのスマートフォンの使用を注意された
- 何故かPCならOKだった
- 謎なので理由を推察してみた
背景
この文書は人間の思考と社会観念を奇妙に感じて, 私の思考と社会のズレに対して多少のおもしろおかしさを感じて書いている.
私は現在この事件に大して全く不満は持っていない. 損をしていないからだ. 奇妙さを感じているだけである.
誰かを批判することを目的とするものではない.
事件
2016年5月, 私はAdvanced English aという英語学習のための授業を受けていた.
その時2回目の授業の時に, スマートフォンを使っていることを注意された.
別に私は授業中にスマートフォンを使って授業と関係のないことを行っていたわけではない. アルクの提供するオンライン辞書サービスである英辞郎 on the webを使って, 英語の学習のために英和辞書と和英辞書を使っていたのである.
私はいわゆる電子辞書を使うことは殆ど無い. それがなぜかというと, 電子辞書が不便だからである. 主に入力が不便である. 電子辞書はキーボードをdvorak配列に出来ないし, ローマ字テーブルを私が独自に開発したnlod配列にすることもできない. そしてかな漢字変換の制度は劣悪である. この電子辞書を使いたくないという思考には, 私の学習障害も影響を与えていると考えられる. 他にも電子辞書を使いたくない理由はあるが, この記事の主題は電子辞書ではないので割愛する.
私が英語の授業中にスマートフォンを堂々と使うのは, 高校時代からずっと行ってきたことである.
私は電子辞書を使いたくないあまり, シラバスに「辞書を用意してください」と書かれている授業は真っ先に受講先から外していた.
この話の奇妙なことを語りたい.
1回目の授業ではスマートフォンを使用をスルーされていた
私は受けたい授業では基本的に最前列に座る. 最前列に座って 「お前近すぎ, 一列下がって」 と言われたことすらある.
そして, 1回目の授業でも当然私は英辞郎 on the webをスマートフォンで使っていた.
目の前でスマートフォンを使っていて, 何も言われなかったので, 特に問題はないと考えていたが, 2回目で注意されたのが奇妙だった.
そのことを教師に尋ねたら「1回目は気が付かなかった」とのことだった. 2mほどの距離でスマートフォンを使っていたのに, 気が付かないものだろうか?
PCならOKだった
私は電子辞書では満足な英語学習が出来ない.
またこの授業は, 授業が始まる前に本来の教師が癌で入院してしまい, そのとき授業を行っていた教師は急遽大学側が探してきた人である. なので, 私にとっては「わざわざ紙の辞書や電子辞書を求めてこない授業を探して受けたのに, 後任の教師に禁止にされた…」という状況になってしまった.
これは非常に困るので, 注意された授業の後, 電子辞書を使うと学習効率が大幅に下がることを伝え, スマートフォンによる辞書の使用を許可して欲しい, と教師に訴えてみた.
その結果は非常に奇妙だった.
交渉の細部は忘却してしまったが, 結論はスマートフォンじゃなくてパソコンならいいよということであった.
そもそも私が英辞郎 on the webを利用するデバイスに, パソコンではなくスマートフォンを選んでいた理由は,
- PCは音を出すことが多く, 他の人の迷惑になることを恐れた
- 当時使っていたラップトップPCのファンの調子がおかしく, たまに異音を発していた
- タイピングの音がうるさい
- PCはスマートフォンと違って満足にプログラミングやネットサーフィンができるので, 気が散る
- 高校時代は隣に同級生が座っていたので, でかいPCは迷惑になっていたので, その習慣の惰性, 大学には空席が多いので問題ない
というものだったので, 私としてはスマートフォンではなくPCを使って良い, というのはむしろ良いことであった. 入力の効率も上がる.
良いことであるのだが, 奇妙である.非常に奇妙である. なぜスマートフォンではなく, PCなら良いのか, その理由が私にはまったくわからなかった.
当然その場で教師に 「なんでスマートフォンじゃなくてPCならいいのですか? 意味がわかりません」 と質問したが, 教師の返答も 「自分でも理由はよくわからないけど, とにかくスマートフォンは嫌だ」 というものであった.
自分でも理由がよくわからない感情というものはよくあることではあるが, 思考回路が気になって仕方がないので自分なりに推察してみた.
理由の過度の単純化説
授業中にスマートフォンを使ってはいけないというルールは, 以下の順序の理由によって生成される.
- スマートフォンを使われると, 授業に関係のない行動ができる(ネットサーフィンなど)
- 授業に関係のない行動ができると, 学生は学習に集中できない
- 学生は学習に集中できないと, 問題である
この構造が単純化されると,
- スマートフォンを使われると, 問題である
こうなる.
このように, この教師は無自覚に理由の過度な単純化を行ってしまい, 中間の授業に関係のない行動ができるのが問題であるという本質的な理由を忘却してしまったのではないか?
PCを授業中に使っていたのは自分以外に居なかったので, このような単純なパターンによるブロックはすり抜けてしまった.
もしもし説
「もしもし」というインターネットスラングを覚えている人は居るだろうか.
「もしもし」は, 数年前に主に2chで使われていた, 携帯電話ユーザを馬鹿にする言葉である. 2chでは携帯電話からの接続がidの末尾で判別できるようになっており, 携帯電話から書き込むユーザは相当馬鹿にされていた. 理由は, おそらく携帯電話ユーザが低年齢層に多かったからであろう. 用例は「もしもしは帰れよ」「これだからもしもしは…」といったものである.
要は携帯電話, スマートフォンは低俗なものとされる文化が存在した.
この教師はthinkpadを使っていた. PC選民思想を持っていたのではないか?
ゲーム説
近年, スマートフォンをプラットフォームにしたいわゆるソーシャルゲームが学生を中心とした若年層に普及している. PC上でもエミュレータを使用することでプレイすることは可能だが, そんなことをしているユーザはごく少数である.
ゲームだけを禁止したかったのではないか?
信頼できない語り手説
私は自閉症スペクトラム者である. つまりいわゆる発達障害者である. アスペルガー症候群とも言われる.
私の述べてきたことは全て発達障害者のたわごとであり, 「まともな大人」はルールに大して理由を考えたり, 疑問を挟んだりしないものなのではないか?
教訓
理由は結局わからないが, 授業中にスマートフォンを使うことは社会的にはよく思われないようなので, 代わりに授業中にはPCを使うようになった.